優しいって?
昔から、周りの人に「優しい」って言われてましたし。
自分に対しても、「優しくあらねば」と思っていました。
また、本当に人のためになっていたのか疑問に思います。
「優しい」が解らないと思いましたので、アロマルナさんや
他のおしゃべりサロン実行委員会の方に、聞いてみました。
アロマ ルナさんから
「人のため」をやることで、自己犠牲を強いられているのが、3次元です。
自分が満たされたなら、「人のため」と言われなくても、自然と人のためにうごきます。
自分と、相手が同じものを理解するからです。
他の実行委員の方(Sさん)の意見は
私も、小さい頃から、優しい子と言われて、それがいいことだと思っていました。
でも、結局は自分で何も考えず、母や人のいうこと聞いてきただけだと思います。
そして、今は人のためになることをしようとは考えていません。
もっと、自分にご褒美あげてもいいと思ってるくらいです。
アロマ ルナさんが割とありがちな例を出してくれました。
ある家庭のお父さん、実の親に収入の半分を渡しています。
収入の半分を渡しています。
実の親からは、「優しい子」と言われます。
でも、家計を切り盛りしているお母さんにとっては、
もう少し、家にお金を入れてほしいと思っています。
子供の習い事もできないからです。
この場合、優しいの基準はどこにあるのでしょうか?
私のコメント
お金をもらっている、実の親に基準があると思います。
Sさんのコメント
片側を向いて自分では、優しいつもりでいても、
反対側から見れば、冷たく意地悪に見えますよね
私も、今気づいたけど、母にとっては、
素直で優しい子だったかもしれないけど、
父が見たら、もしかしたら、
冷たい気の利かない娘だったのかな
アロマ ルナさんのコメント
いいですね、Sさん。そこまでおもってないにしても、
近寄りにくい。ことはあったかもしれませんね。
特に、お父さんは男だから、女の人の関わり方がわからないものね。
Sさんのコメント
そうですね。
今までこういう視点で父のことを
考えたことはありませんでした。
確かに関わり方はわからなかったんでしょうね。
私のコメント
基準が無いという所は、理解しました。
アロマ ルナさんのコメント
3次元では、プラスか、マイナスにしか居られないだから、
立ち位置によって基準が変わりますよね、
だったら、「優しい」がからないのは当然ですよね?
以上で終了したのですが、
その後、私が気づいたところ
確かに立ち位置で、基準が変わります。
会社の人たちには優しかったけど、家族には優しくなかった
Sさん同様で、母に対しては優しい(優しくあろう)と思っていたけど、
父に対しては、冷たかったと思う。
他人優しくて、自分に優しくない。
また、溢れ出てくるものを与えていた感じはなく、精神や体力を削って与えていた感じがします。
また、今までなら、これらのこと反省という形で対応してました。
反省という形を取ると、結局、シーソーゲームの様にどっちかに偏って
どうどう巡りになります。
今は、「優しい自分」、「優しくない自分」両方受け入れます。
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